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「新型 貧困を生む街」潜入ルポ(週刊SPA! 2017年7月11日)

これまであらゆる形態の貧困問題を見てきたSPA! だが、今回は貧困を生む”街”の構造を解き明かすべく取材を敢行。
なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? そこから脱することは可能なのか?
住民の声とともに見ていきたい。

日本全国の郊外で”富の二極化”が拡大、週末にもかかわららず子供の姿さえ見当たらない無人の公園、
人通りもまばらなうえ高齢者ばかりが目につく商店街、画一的に並んだ、空室の日立つ団地。

我々が訪れたのは、70年代以降、首都圏で有数の新興住宅地として賑わいを見せた多摩ニュータウンの団地群。居住者の大半を占めた団塊世代の高齢化に対し、若い世代の流入は右肩下がり。”世代交代"が行われず、時代に取り残されたかのような物寂しい光景が広がっていた。

「こうしたケースは多摩ニュータウンに限った話ではなく、日本全国で起きつつある問題です。家を買う人も借りる人も絶対数が減っている今、活気があり富が集中するエリアと貧困が集中するエリアの三極化が進んでいるんです」

そう語るのは、不動産コンサルタントの長嶋修氏だ。いわく、ニ極化の基準は”駅から徒歩7分以内か否か"なのだそう。

多摩ニュータウンしかり、同じような問題を抱えて地価下落率がワーストとなった千葉県柏市の大室地区しかり、駅周辺は今でも大きなマンションが建ったりと活気があるんですよ。

ですが2~3km離れてバス移動が必須となると極端に人気がなくなり地価は下落する一方。

ただでさえ空き家の増加が問題視されている今では、どうしても利便性の都心部、駅近の物件へと人が集中します。こうした傾向が続けば、駅から距離のある郊外の住宅地はどこであれ、スラム化のリスクが高いんです」

需要が減り、地価が下がると住宅価格や家賃も下落。そうなると新たに流入してくる若い世代はおのずと低所得者者ばかりとなり、その地域に貧困が集中する状態に陥ってしまうわけだ。

「いまや、田園調布のような高級住宅地も油断できない状況です。かつては富裕層が集まる街でしたが、車の送迎が前提じゃないと住めないためお金があっても若い世代は寄り付きません。しかも最低敷地面積が定められているため、小さな家を建てられず、中流家庭も人ってきづらいんです」

さらに、自治体の施策もこの二極化に拍車をかけているという。

「少子高齢化時代においては、自治体の税収はどうしても下がってしまいます。人がまばらにしか住んでいないエリアのためにインフラ施設を修繕. 更新するのでは財政がもたなくなるため、コンパクトなエリアに住民を集めよ?と『居住誘導地域』を定め、そのエリアの開発に注力します。こうした『立
地適正化計画』から外れた地域はインフラ修繕などが後回しになり、なかば放置されるように。結果的に、同じ化活問であっても富裕層と貧困層の二極化が色濃くなっていくんです」

話を多摩ニュータウンに戻そう。この地域に36年住む田中明子さん(仮名.72 歳)に話を伺った。

「ご近所さんは亡くなられる人も増えましたし、最近は別の棟で孤独死があったと聞きました。残っ
たお年寄りはみんな年金生活ですし、今さら出ていけない。ただ、ウチは4階ですがエレベーターが
ないから階段がツラくて……」

続いて話を伺ったのは、商店街で買い物をしていた秋山正さん(仮名.36 歳)。

「この団地で育ち、今は母親とニ人暮らしです。緑は多いし団地内のスーパーで買い物もできるから生活しにくいってことはないんだけど、自分を含めリッチな人は住んでないですよね。新しく入ってくる家族もいますが、正直稼ぎが多そうには見えないし。言い力は悪いですが、新しい人はゴミ出しの仕方とかマナーが悪かったりね。あとはやっぱり建物が古いですよね。でも、建て替えはどうしても無理みたいで……」

話を聞いた住民たちにはどこか諦観さえ感じられたが、こうした地域は黙ってスラム化するのを待つしかないのだろうか?

「北海道の下川町は人口3000人ほどの田舎ですが、パイオマス発電事業で公共機関の電気代や灯油代を大輻に削減し、浮いた費用を育て支援することで転入者が増えています。周辺地域の地価が大暴落するなか、昨年ついに川町だけが目に止まったんです。同じように千葉県流川市でも住民の高齢化の進む街でしたが、駅の構内に子供を保育園まで送迎してくれる施設を造るなど、生活しやすい街をアピールすることで最近は総人口が右肩上がりの状態です」

自治体の方針で街の未来を変えることはできる。しかし、多くの地域は「地価の下落←低所得者の流入」という貧困のスパイラルから抜け出ることは困難なのだ。

”新たなドヤ街”が都心の外縁部に出現

労働者に日雇いの仕事を斡旋する「寄せ場」、日雇い労働者のための簡易宿泊施設が立ち並ぶ「ドヤ街」。

過去の遺物のように思われがちなこれら地域だが、今も形を変えつつ残り統けているという。

「現在は日屈い労働もネットでマッチングする時代です。かつての寄せ楊がネットの中に移ったことで、労働者たちもドヤ街のような特定の地域に集まる必要がなくなりました。

とはいえ、定住する家を持てない貧困者そのものがいなくなったわけではなく、現在でも都心の格安ゲストハウスやネットカフェを転々としながら生活する貧困層は少なくありません」

そう語るのはNPO法人の大西連氏。

10年前に「ネットカフェ難民」という言葉が流行したが、現在はネットカフェのみならず料金を極端に抑えたゲストハウス、シェアハウスを拠点にするケースが急増しているのだとか。

「傾向として、彼らは労働現場までの交通コストが抑えられる都心部やターミナル駅付近に集まりやすい。

そのため、新宿や池袋、上野などの都心まで徒歩圏内のエリアにはゲストハウスやシェアハウスが数多く誕生しています。なかには個人が借りた部屋に仕切りを設け、民泊と同じ要領で貧困向けゲストハウスを運営している脱法的な例も。シェアハウスといっても、1人あたり3畳ほどしかない相部屋パターンも多いようです」

ネットで検索すると、たしかに新宿や池袋などの都心徒歩圏内に1泊2000円程度のゲストハウス、1か月2万円のシェアハウスが数多く存在していることがわかる。

まず我々が取材したのは、今年4月からゲストハウスを転々とする生活を送っている明石雄二さんだ。

「アルパイトとして働いていた都内の飲食店で正社員登用されたんですが、休みのない日々に疲れ今
年1月に退職。その後なかなか仕事が見つからず、家賃を滞納して結局4月に退去しました。

それ以降はこうしたゲストハウスを転々としています。現在はポスティングやイベント会場設営などの単発アルバイトで月収は平均10万円ほど。履歴書不要の募集も多いので、家がなくてもやっていけてます」

この日の彼の寝床は上野駅近辺のゲストハウス。上野は浅草に近いため、外国人観光客の利用も見込んだゲストハウスが多いという。

料金は1泊2000円。いくら安いとはいえ、連日泊まるとなると単身者向け賃貸物件の家賃と大差ないほどの出費になるように思うが?

「もちろん部屋を借りたいですが、どうしても敷金、礼金などの初期費用がかかってしまいますよね。毎月ギリギリの生活なので、その資金を貯める余裕がないんです」

続いて、新宿駅近辺のネットカフェで出会ったのは田島明さん(仮名・30歳) 。

彼もすでに3か月以上家のない生活を続けている。「友人とルームシェアをして家賃を折半していたのですが、彼が地元へ帰りひとり暮らしに。家賃が負担できず、退去して新宿駅徒歩15分で月3万円のシェアハウスに転がり込みました。

共用スベース以外はカプセルホテルの一室に近い寝床があるのみ。ただ、ほかの住民から嫌がらせを受けるようになり、2か月で退去。

それ以降はネットカフェ生活です。仕事はずっと食品倉庫で働いています。同僚や上司には、家がないことがバレてないと思うんですが・・。

親を頼ろうにも、母が病気の自宅療養中で僕どころではありません。

仕事が終わるのは20時頃。その後、ナイトパックが適用される22~23時まで公園などで時間を潰し、今夜の寝床に入る。

「シェアハウス時代、自分の置かれた状況や寂しさで発狂しそうになっていましたが、今はこの生活
にも慣れました。いつまでもこんな生活を続けたくないけど……少しずつ貯金するしかないですね」

川島さんの月収は約13万円。そこから日々の宿泊代や通信代、生活代を差し引くと手元には毎月1万円が残るかどうかだという。

前出の大西氏はこう語る。「住まいを借りられるよう保証人になったり大家と交渉するなどの支援を我々も行っているのですが、こうした往困は目に見えづらく、こちら側から積極的にサポートの声をかけにくいのが現状なんです」

全労働人口における非正規雇用の割合は4割を超えたともいわれる昨今。今後も増加が続けば、それに比例するように”新たなドヤ街“が都心を取り巻くように増え続けていく可能性は高いだろう。

日雇い労働の街から福祉の街へと変わる釜ヶ崎

釜ヶ崎は、多くの街が今後直面する課題を先んじて抱えている“課題の縮図“地域だと思っています」

そう語るのは30年以上にわたり釜ヶ崎(大阪府大阪市西成区)にて生活困窮者の支援を行い、ルポ『釜ヶ崎から』の著者でもある社会運動家の生田武志氏だ。

戦後すぐから寄せ場、ドヤ街が発達し、「日本の最貧困地域」とも形容されるこの地は今、どんな問題に直面しているのか?

「釜ヶ崎では今、著しい高齢化が進んでいます。かつての日雇い労働者が年を重ねたことはもちろん、この地に職を求め流入してくる高齢者も少なくない。

とはいえ求人募集は減
少しており、職が得られず結局この地で生活保護を受ける人が多いんです。その結果、いま問題視されているのは、受給者の”社会的孤立"。生活保護の受給によって労働による他者とのつながりは希薄になったほ
か、この地では単身世帯が多いため、身寄りのない場合が多いんです」

さらに、生田氏は今後の支援のあり方についてこう続ける。

“経済的な貧困“と同様に”人間関係の貧困“に対するケアの重要性を感じています。以前から行ってき
た夜回り支援だけでなく、生活保護者に対する訪問支援、さらには住民たちがコミュニケーションを取れる場を設けることが、今の釜ヶ崎に必要だと思っています。

高齢化の問題を抱えた街は全国でも少なくない。彼らに今必要なのは経済的な支援よりも、生きづらさを共有し助け合うことができる人間関係を構築する支援なのかもしれない。

貧困から抜け出せない外国労働者の2世たち

厚生労働省の発表によると、日本で働く外国人労働者の数は年々増加し、昨年初めて100万人を突破。
少子高齢化による労働人口不足を外国人で補おうとする構図だが、安易に推し進めることで新たな貧
困が生まれているのも事実だ。

「低賃金で働く外国人労働者がエ場近辺の団地などに集住。日本で生まれた子供たちに高い教育を受
けさせることができず、2世、3世までもが貧困から抜け出せなくなっている地域があります」

そう話すのは、国内外で若者文化を撮り続けるカメラマンの福持英助氏だ。彼がレンズを向けるのは神奈川県平塚市。平塚といえば、戦後に戦災復興都市の指定を受け、自動車関連をはじめ工業都市とし
て発展した地域である。

現在でも工業団地が点在し、多くの外国人労働者が生活を送っているという。そもそも福持氏がこの地で生活する外国人労働者の2世、3世を採用するようになったのは数年前のこと。湘南界隈の夜の街で若者たちの姿にカメラを向けるうちに、ハーフのコが多いことに気づいたという。

「話を聞けば、みな労慟者として日本にやってきた外国人の子供たちでした。プラジル、フィリピン、
タイ、カンポジア、ベトナム、中国……親の国籍はそれぞれパラバラ。本人たちは総じて陽気でノリ
がいいんですが、みな決して裕福でないのは共通しています」

彼らが集住するのは工業地帯に隣接する団地群。なかでも平塚駅から5kmほど離れた横内団地は、全住民の20%弱を外国人が占めている有数の外国人タウンである。

さっそく現地へと足を運んだ。「この団地に長年住んでるけど、もともと外国人は少なくなかったからね。その頃から騒音トラプルとかケンカはたまにあったんだよ」

まず話を聞いたのは、この団地に20年住んでいるという相田正さん(仮名.61歳)。そもそもこの地に外国人が増え始めたのは80年代後半のこと。自治体によるインドシナ難民支援で、ベトナム、カンポジアなど東南アジアから難民が移り住んできたのがきっかけだ。

その後、あらゆる国から難民申請者や技能実習者が集まり、日本人との結婚、労働力としての定住申請などを経て多くの外国人が住みつくようになった。

「ただ、彼らの子供が増えだしてからのほうが正直言って治安はよくないよ」(相川さん)


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